難波宮跡と大阪歴史博物館

2025.9.11(木)午後難波宮跡と大阪歴史博物館に行きました。

大阪城の側で、谷町四丁目駅を出て徒歩10分くらいです。

飛鳥時代乙巳の変(蘇我入鹿、蝦夷を滅ぼす)後、孝徳天皇の時大王宮を飛鳥から難波に移しました。(前期難波宮)また奈良時代聖武天皇は藤原広嗣の乱後都を転々と映しましたがその時難波にも移しました。(後期難波宮)ここは同じ場所にその宮が建った所です。右奥に見えるのが内裏正殿で天皇が生活してた所です。

内裏を正面から見てみました。

左の赤色の部分が前期難波宮遺構、右の灰色の部分が後期難波宮遺構です。

中央大通を挟んで大極殿、朝堂院の所に来ました。

これが大極殿(後期難波宮)です。大極殿は天皇が国政を担う貴族達に号令を発したところです。

大極殿に上がってみます。平城宮跡にもこんな感じの所がありました。

朝堂院跡です。国政を担う貴族達はここで天皇の言うことを拝聴していました。今となってはただの草むらです。

近くの大阪歴史博物館に入ってみます。入館料は600円でした。

10階~7階まで難波宮時代、天下の台所時代、特集展示、大大阪時代と下って行くコースになっています。ここは10階で、この人形は貴族が礼服を着た姿で、紫の方が偉いようです。

先の難波宮跡を上から見下ろした景観です。ちなみに大阪城も良く見えました。

これは高位女官で持ってる大きなうちわで天皇の姿を隠したそうです。

珍しい船の埴輪もありました。

後期難波宮が再現された模型です。手前の大極殿と朝堂院は中国風の建物で基壇上に立ち、屋根は瓦葺です。奥の内裏は掘立柱形式で屋根は檜皮葺で日本古来の建築様式です。

これは7階のフロアです。大阪は淀川をはじめとし水運がよく、飛鳥や奈良に近かったこともあり発達してきたというのが分かりました。歴史を勉強するにはいい所だと思います。